影山

創業して1年半経ったに結婚しました。

1985年9月,創業して1年半ほど経った時に結婚しました。このころはまだ事業が軌道に乗らず妻には苦労を掛けました。毎月の売上金額が40万円に届かず,経費を差し引くとよくやりくりしてくれたものだと思います。感謝しかありません。ある時,月の半ばで家中のお金をかき集めても200円位しかなくなってしまったということがありました。まあこの時はホントに悲壮感がありました。毎日,「何とか生活していけるような仕事が取れますように!」と祈って営業に出かけたものです。そんな日が幾日か続き,千葉市のマツダオート店で3台,ストライプを貼らせてもらえることになった時,クルマの中で泣きました。感謝なのか安堵なのか自分が不甲斐ないという思いなのかよくわからない,でも感謝の気持ちが強かったのかな?そんな涙でした。でもそんな時期を乗り越えて,お金がないことはもう怖くない,と妻とよく話したものです。

自宅が仕事場を兼ねていましたので,FAXが必要ということになり,リース契約でFAXを導入したのが結婚した翌年ごろだったと思います。そのころはコピーは近くのコンビニまで,必要が生じると毎回取りに行っていました。

転機が訪れたのはトリム・ラインジャパンの親会社だった住友スリーエムの担当部長が同行営業してくださった頃のことです。仕事上の関連会社だったようですが,千葉市のBMWの販売会社を訪問して,その場でその販社のステッカー2000枚を受注したのです。確か63万円の仕事だったと記憶しています。それまでどんなに頑張っても売り上げたことのなかった金額です。もうびっくりしました。その後,やはり住友系ということでご紹介いただいたのが,当時のフォードの販売会社オートラマとその販社の母体であったマツダ中販でした。マツダ中販とはマツダの中古車を商品化して中古車の商品価値を高めるための会社です。当時は船橋に拠点があり,私はその後何年も毎週定期的にマツダ中販に出かけて行ったものです。マツダ中販のおかげでうちは何とか安定した収入を得られるようになったのです。マツダが風邪をひいたらうちはつぶれちゃうね,なんて言っていた時期もありました。全国にいくつも拠点があったマツダ中販は年に何度か商品化コンテストを行っていて,うちでデザインしたストライプの入っている車両が優勝すると自分のことのように喜びました。コピー機も導入することができました。そして中古のワープロも!

当時の施工例:ファミリアはGT Saloonという名称で何百台も生産しました。

忘れてはいけないのは,結婚してから妻は千葉の簿記学校に通ってくれたことです。そこで簿記の資格を身に着け,それ以来我が社の経理はすべて妻が担ってくれています。これも感謝の言葉しかありません。結婚後,しばらくは二人三脚の日々が続いたのですが,やがて社員が入ることになりました。それはまた次のお話です。